数学とステレオタイプ

数学の能力がステレオタイプによって左右されるかどうかという記事を見かけた。 興味深かったので書きとめる。

この記事は,引用元の信頼性調査が不足している。孫引きがあり,記述のもととなる論文も見つけられていない。しかし,興味深い内容であるから,備忘のために残す。

初めて聞いたところが思い出せない(偶然点いていた何かのテレビ番組だったと思われる)が,「数学のテストにおいて,用紙に性別の欄があるだけで女子の成績が下がる」という言説を聞いた。調べたところ,次の記事に辿り着いた。

「女子は男子にくらべて数学が苦手」という先入観が、アメリカをはじめ世界中に蔓延している。ある研究で大学生に数学のテストを行ったところ、テスト用紙に性別を書く欄があるだけで、女子の成績が男子を43%も下回った。だが、まったく同じテストを「数学テスト」ではなく、「問題解決テスト」という名称で行ったところ、成績に男女差はみられなくなったという。また別の研究で「言語能力を測る」という名目でテストを行うと、アフリカ系学生の成績が白人を下回ったが、同じテストを能力診断ではなくふつうの課題として行った場合は、成績における人種差はなくなった。

統計を取ったわけではないが,これまでの指導経験からも,「私は数学が苦手です」と述べるのは女子生徒に多く思われる。もちろん,そもそも学習相談に来る率がどうかといった前置きを洗わなければ意味がないが,少なくともそういう印象を持っている。

数学を学ぶとは,そもそも時間のかかるものである。少し取り組んでたやすくわかったとき,それはほぼ「わかったつもり」であり,それよりも幾分よかったとしても「解けるだけ」であって,生徒の目で言えば,応用問題は解けない。このあたりで「数学は難しい」と思ってもらうのはまだよいが,「私は数学が苦手だ」と思われるとその後は厳しい。時間をかけて自ら理解しようという気持ちが削がれてしまう。行きつく先は,基本的な内容を覚えて立ち向かうか諦めるかということになってしまう。これが積み重なると本当に数学がわからなくなる。はじめに出会う「わからなさ」に,ひたむきに時間をかけて向き合わなければ数学は遠ざかってゆく。「苦手だ」という思いこみは,わからなさに立ち向かう気概を奪ってしまう。

私の高校時代を思い出しても,決して数学は得意ではなかった。むしろ国語や英語のほうが成績はよかった。しかし,数学の態度への共感があったからか,苦手だと決めてしまわなかった。このことが,専門に数学を選び,大学・大学院と数学に取り組めた理由だと思う。

そうした意味で,時に聞かれる「数学では女子生徒は伸びにくい」といったような先入観は,生徒も教員も捨ててもらいたい。これまで,授業でも「数学はすぐにはわからないのが当たり前で,時間がかかる科目である」とはしつこく伝えてきた。この記事を読んで,「数学に性差はない,誰しもがぶつかるべき壁で『私は数学が苦手だ』と思うな」とはっきりと伝えてゆくべきだという気持ちになった。

なお,ステレオタイプ脅威については,再現性の問題が提起されている。しかし,ステレオタイプ脅威の実験の再現性が乏しいからといって,数学における性差を受け入れる結論にはならない。生徒たちに自信をつけてもらう一助として,再現性の問題にも触れたうえで,示すのは悪くないことだろう。

次の記事も参考に残しておく。

ここからの一連のツイートが教育的に意義深いと思うので追記する。

采 @psychama

「ステレオタイプ脅威」のメタ分析では確かに効果がほとんどみられていませんし、再現性の危機は大きな問題ですが、「嘘」と言い切ることには違和感があります。一部の人には効果が存在する可能性は否定できませんし。

/「女性が数学を苦手なのは偏見が原因だ」という嘘

anond.hatelabo.jp 「女性が数学を苦手なのは偏見が原因だ」という嘘

午前1:20 ・ 2020年12月2日

采 @psychama

この記事について、補足しておこうと思います。 まず、記事中で引用されている性別と数学パフォーマンスについての「ステレオタイプ脅威」の近年の研究知見についての理解は、自分の知り得る限りでもおおむね正しいと思います。(1/16)

午前6:57 ・ 2020年12月2日


  • 追記: 2022-08-16
  • 采 (@psychama) 氏による投稿を引用した。
  • 結局のところ,雑談としても教育現場で扱うにはまだ早いようだ。