高校生には哲学を学んでもらいたい

今年度の高校1年生から,新たな学習指導要領に則り教育が行われる。世間には様々な意見があるだろうが,私の目には,今回の改訂は残念なものに映る。目まぐるしく移ろいゆくこの世界において,斜陽国家である日本で,今のまま保てるものは多くなかろう。そのようなとき,次の世代に残すべきものは具体物ではない。人類がどのような方向に進んでも,自らの足で立てる力である。

普通科高校のカリキュラムというものは,子供たちからすると「これを学んで何になる」と思われるものが多かろう(残念なことに,どのように役に立つかが見えやすいものが増やされてしまったが)。それは,直ちに適用できるように見えないからである。しかし,直ちに役立つものは,社会が少し動くだけで意味を失う。教育においてすべきことは,人類がどこか変わらずに持ち続けているものを掬いとらせること,自ら学び考え続ける力をつけさせることである。その力があれば,何が必要になっても学べるのだから。

具体的カリキュラムに対して述べたいこともあるが,今回の目的から逸れるのでここで措いて,次のツイートを引用する。

哲学科では実験もフィールドワークもデータ処理もせずに、ひたすらクリティカル・リーディングとチャリタブル・リーディングを往復しながら難解な文章をパラフレーズする練習を繰り返す。これを数年続けてようやく卒論が書けるくらい読みこなせるようになる。研究者になるにはさらに数年がかかる。
午後4:31 ・ 2021年2月20日 1

哲学を学ぶと「前提を疑う力」がつくと言われることがあるが、単に疑うのではなく、「自分の前提を括弧に入れて、異なる前提を暫定的に受け入れながらに議論を追った上で、最終的に筆者と距離をとって自分なりの評価を下す」という、もう少し複雑な力がつく。これは転移可能なスキルでもあると思う。
午後4:31 ・ 2021年2月20日2

バズってしまったので補足します。「哲学のみで身につく」とは主張していませんし、「哲学者が身につけるべきスキルがこれに尽きる」とも主張していません。「哲学のスキルセットのコアにこのようなスキルが存在する」かつ「哲学を学ぶことにはそのスキルの訓練が含まれる」が主張内容です。
午前2:00 ・ 2021年2月22日3

実験やフィールドワーク云々の部分は、「では哲学科では大学の4年間で何を学んでいるのだろう」という問題提起のために「他分野で学べる、誰が見てもわかりやすく価値あるスキル」を例示したものであり、それ以上の含みはありません。
午前2:00 ・ 2021年2月22日4

重要なのは 2 段目である。私たち一人ひとりの考えは何かしら異なるので,本来は,双方の考えを伝えあうことが欠かせない。このとき,すぐに自分の考えに照らしてはならない。そうしてしまえば最後,理由をつけながら否定的に議論を追うことになり,相手の価値観を汲んで妥協点を見出すことは難しくなる。判断を留保したまま相手の議論を追い,さらにそこに問題や飛躍があったとしてもそれをも含みおいて相手の考えを冷静に汲むということができなければならない。

3 段目以降の補足も,こうした能力があれば,自分の文章がどのように誤解されるおそれがあって,何を伝えればそれを避けられるのかを判断できるようになる証拠になっている。

どの教科を学ぶにせよ,すぐに自らの理解に引き寄せてしまっては何も学べない。それはこれまでの自分の範疇を出ないからである。私はあらゆる科目に対してそうだと考えるが,とくに古典・歴史・数学・英語などは想像が及びやすいであろう。

したがって,そもそも学ぶために「自分の前提を括弧に入れて、異なる前提を暫定的に受け入れながらに議論を追った上で、最終的に筆者と距離をとって自分なりの評価を下す」能力が求められるのである。こうしたことは,小さなころには国語で,それ以後は哲学で身につけられるだろう。

高校生であれば,ある程度の壮大な話も伝わる。若い 3 年間を,いかにも役に立ちそうなことを学ぶのではなく,分かりやすく解法を教えてもらうのではなく,自分が育つために費やしてもらえるように,良識ある大人たちは語り掛けねばならない。


  1. 川瀬和也,(Twitter)。Twitter,参照 2022-08-03。 ↩︎

  2. 川瀬和也,(Twitter)。Twitter,参照 2022-08-03。 ↩︎

  3. 川瀬和也,(Twitter)。Twitter,参照 2022-08-03。 ↩︎

  4. 川瀬和也,(Twitter)。Twitter,参照 2022-08-03。 ↩︎