数学語の文章における論証

Twitter にて、論証におけるよい言語化を見た。 日頃の授業で、この2つ(引用)を明示的に取り扱うことは数学の学びにおいてきわめて大切である。 外部のこうした言語化は、授業者本人の言葉ではない説得力として、生徒に示す価値がある。

小林 廉
@kobayashi__ren

ところでこれ「科学技術の智プロジェクト」数理科学専門部会報告書にある「論証」の項なんですがめっちゃ大事なことが端的に書いてあります。特に3点目のことは、授業で生徒に「なぜ答えがそうなるのか」だけでなく「なぜそれが思いつくのか」を問う必要性を示しています。“2種のなぜ”を問う。

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午後9:37 ・ 2024年7月22日

出典はここである(数理科学専門部会報告書 3.1.4 項)。

併せて、次のツイートも引用しておく。 先に単元の展望や問題意識を見せておくことは、必ずしも数学を専門としない生徒が大多数である高等学校の数学科において、欠かせない視点であろう。

小林 廉
@kobayashi__ren

興味深かったのは、学習指導要領における記述の順番を思考力判断力表現力等→知識及び技能の順にしてはどうかと仰っていたこと(応じて要録も)。知識技能→思考判断表現の順になっていることが暗に順序性を示してしまうのではないかと。確かにそういうこともあり得るかも。典型が「習得・活用・探究」。

小林 廉
@kobayashi__ren
10月22日 先日訪問した高校の校長先生がまさにそれを仰っていたので共有: 「先生方には、知識技能と思考判断表現を”ひっくり返した”授業をして欲しいとお伝えしています、まずはリサーチクエスチョンのような問いがあってそれについて思考判断表現する中で知識技能を身に付けていくような授業をと」(意訳)

午後9:40 ・ 2024年10月23日

話が逸れるが、次のツイートも残しておく(出典不明)。

小林 廉
@kobayashi__ren

“教師の問いは、子どもたちの「わからないこと」や「まちがったこと」を出させることを目的としたものだ…正答が検査されたり、尋問されたりするところが教室ではなくて、「わからないところがわからない」といえる場所、まちがいやつまずきを出し合って考えるところが教室なのである”(吉本均)

午前6:52 ・ 2024年11月1日