「そのまま学ぶ」力としての哲学
哲学を学ぶことで身につく力について,生徒に伝えたい言語化を見かけたので書きとめる。数学の話にもつながるだろう。
今年度の高校1年生から,新たな学習指導要領に則り教育が行われる。いろいろな意見があってよいが,私には残念に映る。移ろいゆくこの星で,陽の沈みゆく日本。今のまま保てるものは多くなかろう。そのとき,残すべきものは具体物ではない。人類がどちらへ進んでも,自ら立てる力である。
普通科高校のカリキュラムは,多くの子供たちにとって「これを学んで何になる」であろう(残念なことに,役に立ちそうに見えるものが増えてしまったが)。そのまま使えそうにはない。しかし,直ちに役立つものは社会が少し動くだけで意味を失う。教育がすべきことは,人類がどこか変わらずに持ち続けているものを掬いとらせること,自ら学び考え続ける力をつけることである。それがあれば,足りないものはいつでも補える。
カリキュラムの中身に対し述べたいこともあるが,今回の目的から逸れるのでここで措いて,次を引用する。
川瀬 和也『ヘーゲル哲学に学ぶ考え抜く力』(光文社新書) @kkawasee_wdl
哲学科では実験もフィールドワークもデータ処理もせずに、ひたすらクリティカル・リーディングとチャリタブル・リーディングを往復しながら難解な文章をパラフレーズする練習を繰り返す。これを数年続けてようやく卒論が書けるくらい読みこなせるようになる。研究者になるにはさらに数年がかかる。
午後4:31 ・ 2021年2月20日
川瀬 和也『ヘーゲル哲学に学ぶ考え抜く力』(光文社新書) @kkawasee_wdl
哲学を学ぶと「前提を疑う力」がつくと言われることがあるが、単に疑うのではなく、「自分の前提を括弧に入れて、異なる前提を暫定的に受け入れながらに議論を追った上で、最終的に筆者と距離をとって自分なりの評価を下す」という、もう少し複雑な力がつく。これは転移可能なスキルでもあると思う。
午後4:31 ・ 2021年2月20日
- https://twitter.com/kkawasee_wdl/status/1363028588044247042
- 川瀬和也
- 参照 2022-08-03
川瀬 和也『ヘーゲル哲学に学ぶ考え抜く力』(光文社新書) @kkawasee_wdl
バズってしまったので補足します。「哲学のみで身につく」とは主張していませんし、「哲学者が身につけるべきスキルがこれに尽きる」とも主張していません。「哲学のスキルセットのコアにこのようなスキルが存在する」かつ「哲学を学ぶことにはそのスキルの訓練が含まれる」が主張内容です。
午前2:00 ・ 2021年2月22日
川瀬 和也『ヘーゲル哲学に学ぶ考え抜く力』(光文社新書) @kkawasee_wdl
実験やフィールドワーク云々の部分は、「では哲学科では大学の4年間で何を学んでいるのだろう」という問題提起のために「他分野で学べる、誰が見てもわかりやすく価値あるスキル」を例示したものであり、それ以上の含みはありません。
午前2:00 ・ 2021年2月22日
- https://twitter.com/kkawasee_wdl/status/1363534069644988418
- 川瀬和也
- 参照 2022-08-03
2段目が肝だ。私たち一人ひとりの考えは何かしら異なるので,互いの考えを伝えあうことが欠かせない。このとき,すぐに自らの考えに照らしてはならない。そうしてしまえば,理由をつけながら否定的に議論を追うことになり,相手の価値観を汲んで落としどころを見出すことは難しくなる。判断を留保したまま議論を追い,そこに問題や飛躍があったとしてもそれをも含みおいて先方の考えを落ち着いて拾うということができなければならない。
3段目からは,この力によって何ができるようになるのかをまさに示している。自らの文章がどのように誤解されるおそれがあるのかに気づくこと,何を伝えればそれを避けられるのかを見抜くこと,である。
どの教科を学ぶにせよ,すぐに自らの理解に引き寄せてしまっては悲しい。それはこれまでの自分の範疇を出ないからである。私はあらゆる科目に対してそうだと考えるが,とくに古典・歴史・数学・英語などは想像が及びやすいであろう。すなわち,わかりやすく学ぶ,ということは失うものが多い。そのまま掌で掴めば,重く硬くともすべてがそこに乗る。しかし,解されたものを掴んでも,指の間から零れ落ちてしまう。できるかぎり,学問のそのまま見つめてもらいたい。授業者や解説者に映ったものは,その一面に過ぎないのだ。
したがって,そもそも学ぶためには「自分の前提を括弧に入れて,異なる前提を暫定的に受け入れながらに議論を追った上で,最終的に筆者と距離をとって自分なりの評価を下」せなければならない。こうしたことは,小さなころには国語で,それからは哲学で身につけられるだろう。
高校生であれば,壮大な話も受け止められる。若い3年間を,いかにも役に立ちそうなことを学ぶのではなく,分かりやすく解きかたを教えてもらうのではなく,自らが育つために費やしてもらえるように,良識ある大人たちは語りかけねばならない。