所有権のない電子書籍がもつ危険性

読書はよい。文学を味わうも、新たな知見を得るも面白い。漫画も息抜きになる。我が家では、本を買うことにはまずためらわない。家族がたくさん買ってくることもむしろ楽しみである。

ところが、片づけるとなるとそうはゆかない。捨てようと思える本は少ない。したがって、本は積みあがる。さらに、仕事柄教材が増える。古い教材はいずれ役に立つので取っておきたいが、それこそかなりの量になる。

そこで、このごろは自炊に努めている。自炊とは、本を裁ってスキャンしてしまうことを指す俗語である。両面読み取りのスキャナがあれば、音楽を聴くなり映像を見るなりしながら進めることができる。こうして何とか本を収めている。

このようなことをしていると、はじめから電子書籍を買えばよいと思われるだろう。しかし、多くの電子書籍には問題がある。購入しても所有権がないのだ。したがって、管理元が倒産でもすればすべてのデータが失われる。著作権保護の名の下にか、決められたのソフトウェアでなければ見られないものも多く、そのように縛られることはそもそも避けたい。(できるだけ自作のデータはバイナリではなくテキストで、それが難しくとも企業に独占されていない将来性のあるファイル形式で扱えるように心がけている。)

本は、残るからこそ価値がある。文学は年齢・環境・気分などによって少しずつ味わいが変わってくる。新書や学術書は、読み込むほどに理解が進むこともあれば、時代の移り変わりを示してくれることもある。本を持っている意味は大きい。これからの社会に老後というものがあるのかはわからないが、連れてゆきたいと思うものが本である。誰かの振る舞いによって奪われてしまうかもしれないようなものは、私にとって本とは呼べない。

今のところ、いくつかの本棚に入るだけのものは紙で持ち、それを超えるものは自ら取り込んでデータとして持つまでの手しか見出せていない。コピーされてしまうことへの警戒はわかるが、電子書籍にはもう少しおおらかになってもらいたいものである。このままでは、電子書籍としてのみ世に出た本は、古典になる道がないのであるから。


  • https://president.jp/articles/-/49689
    • 三上洋
    • 「4000冊の蔵書が一瞬で吹っ飛ぶ」アマゾンの電子書籍が抱える根本的な落とし穴
    • PRESIDENT Online
    • 参照 2022-08-09